皇室にとって、国民への「祈り」が取り分け
大切な意味を持つことは、改め言うまでもあるまい。
では、その“皇室の祈り”とはどのようなものか。
上皇后陛下の明確なご説明がある。「陛下が…国民の叡知がよき判断を下し、国民の意志がよきことを志向するよう祈り続けていらっしゃる」(平成7年)と。これは、皇室が国民の為にひたすら祈って下さっているから、
国民は皇室に頼って、ただ怠惰を決め込んでいればいい、
というのとは対極にある。国民がその叡知と意志によって、
迷わずに正しい方向を選び取り、たゆむことなく自ら進路を
切り開いて欲しい、という祈りだ。責任は全て国民にある。
国民は、気高く公平無私な皇室の祈りを“鏡”として、
自らの主体性と責任で、運命に挑んで行かねばならない。
そこを誤解すべきではない。【高森明勅公式サイト】
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